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今年もいろいろと有り難うございました。
大過なく年末をお過ごしください。
ところで川尻電車の廃線は昭和40年と知っていましたが(鉄ピク昭和40年5月号)
2月21日だったから39年度だったのですね。
今年の秋は0系完全引退で、じっくりものを思うことができました。
あの1年というのは私はまだ5歳で、大阪の浜寺にいた頃ですが、年史をひも解けば
このあたりでは近鉄伊賀線の伊賀神戸ー西名張間は白紙改正の前日の9月30日に廃業。
あと山陽路では尾道鉄道や防石鉄道の廃止もこの年です。
新幹線ショックというのはおそらく鉄道運輸関係者に大なり小なりあったのだと
この年になって思いが至ります。
剛腕経営者・佐伯勇にしろ名阪特急網では食べて行けないと悟り、横軸から縦軸、
奈良電買収〜京都線特急から伊勢志摩開発まで、収益ラインを引き直しました。
その白紙ダイヤ改正の前日に消えて行った葡萄畑の電車(美旗付近)のことは一筆書きたい
ものです。
それと九州の央都から南へ一町走っていた電車にも終焉が。熊延、山鹿と相次いでいます。
大分交通にも伝播しますが、0系の栄光の影に駆逐されたかのような田舎電車たち。
遥か遠くの出来事なのになぜこの年は廃線が相次いだか。
僕らの世代が証人のいるうちにきちんと書きまとめておきたいものだと、改めて思いました。
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